クリス・デマルコ波瀾万丈なゴルフ人生
プロゴルファー
初出場で単独首位、歴代最少スコア2位の[65]をマーク。
輝かしい限りのクリス・デマルコだが、ここまでの道のりは決して楽なものではなかった。
1994年から1996までPGAツアーでプレー、しかし好調だったのは10回の10位入賞を成し遂げた初年度のみ。
PGAツアーのシード権を失い、97年にはPGAツアーの下部組織、BUY.COMツアーに出るようになった。
「つらかった。賞金を稼げない上に、トーナメントを追いかける旅生活。子どもが小さかったから、一緒につれて回れたけど、妻にも苦労させている。
(クリス・デマルコ:97年当時)」
「良い時代もあったの。予選に落ちちゃえば、一円も稼げないまま、次に進まなきゃならない。これは大変よ。
(妻エイミー:97年当時)」
1997年にはBUY.COMツアーのオーザークス・オープンで優勝、賞金ランキングの3位に食い込み、PGAツアーのシード権を獲得、返り咲いた。
「一度脱落すると、もう戻れないと思っていた。でも数年前に比べてより強く、上手く成長して戻れるというのは嬉しいことだね。
(デマルコ:97年BUY.COM優勝時)」
返り咲いた、デマルコは着々とPGAツアーの賞金ランキングも登りだし、2000年にはPGAツアー初優勝を「SEIペンシルバニア・クラシック」であげた。
すべてはユニークなパットのグリップにあった。
「5年前にシード権を失って、途方にくれゴルフを辞めようと思っていた。その時にこのパット方法を習ったんだ。これがなきゃ、いまここに僕はいないよ。誰にもチャンスはめぐってくるんだ。僕には今週そのチャンスが来ただけだよ。
(デマルコ:00年優勝時)」
そして2001年、「マスターズ」でもデマルコにチャンスの女神が微笑んでいる。