テリー・ムーニーPGAシニアツアーへの復活

プロゴルファー


1970年代と80年代初めにPGAツアーを湧かせた若きプレイヤーだった、テリー・ムーニー。
1982年の日産オープンで、ベン・ホーガンがうち立てた
「リビエラでの最少スコア記録64を塗り替えた若武者」
というのがテリー・ムーニーの若き日の栄光。しかしその後苦戦した若武者は、シード権を失い、ツアーから姿を消してしまった。

当時は今のようにトップの125人ではなく、トップの60人しかシード権をもらえなかったの上に、肩のケガをかかえていたテリーのプロゴルファー人生は終わってしまったのだ。
その後、多くのプロスポーツ選手が一線を退いて選ぶように、ムーニーは地元テレビ局のスポーツキャスターになった。
「最初は右も左もわからなかったよ。でも10年間いろんな勉強をさせてもらった。(ムーニー)」

そして42歳になった1992年、彼はグリーンに戻ってきた。
「すぐにツアーに出られるなんて思ってない。そんな簡単なものじゃないことは自分が一番知っているから、まずはシニアのQスクールに焦点を絞って、8年間練習を重ねたんだ。(ムーニー)」
テレビの仕事の量を削り、ゴルフのインストラクターやアマチュアの大会などに意欲的に挑戦。
「試合の緊張感を取り戻さなくてはと思ってね、できるだけプロの心理状態を取り戻そうと努力したんだ。(ムーニー)」

そして昨年の12月、50歳でQスクールに挑戦、みごと2位タイを勝ち取り、メジャー以外の全てのPGAシニアツアーへのシード権を獲得した。
次のムーニーのチャレンジはシニアツアーで優勝すること。すでに復帰初戦となった先週の大会で16位タイ、2万6600ドルの賞金を持ち帰った。
夢を実現させる男だけに、PGAシニアツアー優勝というのも、夢だけに終わりそうにない。
2001年のPGAシニアツアー、テリー・ムーニーからも目が離せなくなりそうだ。

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